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富士2007
復路は、門司−東京の「富士」です。

先に門司に着く「はやぶさ」到着から、いったいどうやって「はやぶさ」と「富士」を併結するのかをみてみました。

先ずは関門の水先案内人EF81が、下関寄りに用意されます。往路と同じ410号機。

やがてED76に牽かれた「はやぶさ」が門司の6番線に入線。

実は予想と違う展開に焦って、撮る場所が決まりませんでした。
6番線でED76が切り離され、EF81が「はやぶさ」の先頭に連結されます。



次にED7690に牽かれてきた「富士」が5番線に入線。

8月中旬だと、いくら九州でも午後7時前は流石に露出が厳しいです。
6番線のはやぶさは一旦、EF81に牽かれ下関方向に引き上げます。5番線で待機する富士からはED76が切り離され、「はやぶさ」の連結を待ちます。ホームを離れていた「はやぶさ」が「富士」の待っている5番線に入ってきて、連結。堂々12両編成の特急らしい姿になります。「はやぶさ」入線から発車まで実に26分。

東京行き寝台特急で関門を通るのはこれが3回目。最初は31年前の夏、門司から乗った24系24型「はやぶさ」。そのときの牽引機は、EF81300番台でした。4両しかない新鋭機に当たって嬉しかった思い出があります。関門トンネルの間は、オハネフの貫通扉にかじりつきで、EF81304のプレートと対峙していました。

次は、25年前の春、博多から乗った25型の「あさかぜ4号」。博多−門司間を牽いてきたED73に代わったのはEF30でした。交流機も交直流機も旧き佳き時代のものです。もっとも当時は「なぁんだEF30かぁ…」でしたが。ちなみに25年前に乗ったのは、生まれて初めての個室寝台オロネ25、そして今回の富士も、名前はオロネ15 3000と変われど素性は25年前に乗ったものと同じオロネ25です。A寝台個室も25年ぶり2度目。

今回の旅行で5回目にくぐる関門トンネルを出て、今回の旅行で2回お世話になったEF81410が下関で切り離されると、ここから約1100kmの行程を委ねることになるEF66の登場です。何号機かと後ろから2両目の富士のロネから延々編成の先頭まで見にいくと、なんと往路と同じ49号機でした。往復とも同じともなるとEF6649は、思い入れのある釜になりそうです。

因みに、このEF6649、関門間のEF81410、「富士」を牽いてきたED7690、全て往路の「はやぶさ」と同一機です。それだけ旅客列車を牽く機関車の総数が減っているということでしょうね。

EF66が連結され下関を発車したので、個室にもどり門司で買い込んだささやかな夕食を済ませ改めて室内を見回してみます。
室内のレイアウトは、こんな感じで、シート(ベッド)とカーペットの色が違う程度で25年前、つまりオロネ25登場の31年前とほぼ同じです。

このへんも同じですね。

B寝台個室ソロに対するアドバンテージは、室内高さと洗面台が備わるところぐらいでしょうか。

細かく見ていくと、シートとして使用するときは、背ずりが出てきて、シートらしい形状になること、これは肘掛けを起こしたり倒したりで変わります。

それと寝台として使用するときは、座面を前に引き出せるので基本的には寝台幅70cmですが若干広く使えることもこのロネならではで、これは座面下のレバーで操作します。実際、ハネ個室、ロネ個室とも子供の添い寝でしたが多少なりともロネのほうが余裕がありました。

新製当初の雰囲気を色濃く残しる室内ですが、こんなところに静かに国鉄が息づいていました。涙もののJNRマークが二箇所に。

食事を済ませると、昼間の疲れで子供は早々に寝入ってしまいました。照明を落とし、山口県内を走る車窓からぼんやり瀬戸内の夜景を眺めます。
25年前の博多あさかぜ、「あさかぜ4号」には、当然食堂車は連結されていたので、夕食はオシでとりました。中学を卒業したばかりの春休みで、まだ普通の学年の春休みが始まる前の3月。ひとりで、夕食を食べにいった食堂車は、がらんとしていた記憶があります。ちょうどこの山口を通っているときに食堂車にいたんだろうなあと思いながらそんなことを思い出します。

31年前の3段ハネにはまだ寝台のセット、解体という儀式が残っていました。そしてその寝台セットが始まったのは山口県走行中でした。当時、車掌補さんが乗務していて、この「寝台のセット」の任に当たっていました。車掌補さんが来たら、乗客は廊下に出て今晩の寝床が準備されていく様子を見守っていました。24型ハネは、中段が自動昇降する所謂新型寝台で、これは昇降ボタンで行います。このボタン操作は当然通常車掌補さんが行うのですが、やりたそうな目でみていたのか、担当の車掌補さんがボタン操作をやらせてくれました。兄と先を争ってボタンを押しにかかったら、「ぼくはこっち」と、まだ乗客のいない向かい側の寝台の昇降ボタンを操作させてくれました。
寝台完全固定の2段ハネ、25型100番台の登場でこういう情景も過去のものとなっていきましたね。

さて乗っていた「富士」も岩国到着を以て明朝浜松到着前まで一旦放送終了。次にこの客車オルゴールを聞くときはもう静岡県まで来てしまっているんだなぁと旅の終わりの予感を感じます。山口走行中窓から空を見上げると満天の星空であることに気づきました。星の寝台特急。

夜のロネの廊下に出てみます。

かつては、A寝台の隣は電源車だったのでこのロネの廊下は、A寝台の乗客以外立ち入る用のある乗客はいない特別な空間でしたが、今はスハネフの乗客の通り道にもなり得ます。

広島県に入り、広電と並行する区間の前後で、こういう風景を同じオロネの個室の窓から確かに見たなぁと、25年前の記憶が甦ります。かつて20系「あさかぜ51号」の52cmの中段寝台から頭を反対に窓側にし、下ろされたカーテンの隙間から夜の車窓を目をこらして見ているときに、ふと「今こうやって寝台特急に乗っている瞬間って後から思い出すとあの瞬間はよかったなぁって思うんだろうな」と、考えたことを何故か今でも覚えています。そして今、オロネの個室からぼんやり夜景を眺めているこの瞬間も日常生活に戻った自分が羨む瞬間なんだろうと思いました。

広電との併走区間も終わるとやがて広島着。「今日は岡山までお客様の乗車があります」と放送終了前に伝えていたので、まだ眠りに就かない「はやぶさ富士」ですが、広島を過ぎたところで自分は寝ることにしました。

往路同様、岡山、兵庫は夢の中。

こどもがごそごそ動いて起きたようなので目を覚ますとまだ3時前。どのあたりを走っているのか外を見るとどうも宮原のようです。本線を走っていないようで大阪駅も通らないようですね。復興を願いながら一日も早い出番を待っているトワイライトEXPの編成が見えます。目が覚めたついでに、かつて夏休みには必ず訪れていた京阪間の様子を見ることにしました。往路同様、高槻通過も確認。
かつての向日町には、宮原のトワイライトEXP同様、出番を待つ何編成かのJR西色の583系の姿。一編成ぐらい国鉄色に戻らないかなぁと期待してしまいます。
やがて止まった京都は運転停車。構内の端にJR西のEF66を見つけましたが、何のため?
京都を出て"これやこの"の長いトンネルを過ぎしばらく行くと、サンサイズとすれ違いました。SRCのすれ違いまで待とうかとも思いましたが、自分もこどもも眠くなったのでサンサイズを確認後、寝ることにしました。

かつて東京発着の寝台特急に乗ると、寝台特急とのすれ違いの波が二波きました。今回のような上りに乗っている場合、先ずは新大阪を出てきた関西九州特急群、電車客車取り混ぜ、明星、彗星、あかつき、なは。そして呉線経由下関行き安芸。それが終わると名古屋発の金星が来て、いよいよ、さくら、はやぶさ、みずほ、富士、あさかぜ、の東京始発グループ。乗っているこっちも走っているので、普通の列車間隔の半分で来るため、ひっきりなしに来ると感じたのも今は昔ですね。

今の夜中の東海道山陽の主役は高速貨物です。それこそひっきりなしにすれ違う新鋭電機に牽かれた高速貨物は衰退した客レとは対象的です。

さて早朝、名古屋の停車も知らず、目が覚めると静岡県内を走っていました。やがて「おはようございます」から始まり、日付、時刻と続く朝一番のアナウンス。列車は定刻で走っていて6時30分に、浜松に到着するとのこと。その放送に続き、再び放送開始。何かと思ったら、おにぎり、サンドウィッチ、飲み物の販売を開始するとのお知らせ。確か昨日、浜松から開始と聞いたと思ったのですが、名古屋から乗り込んで用意してくれていたようです。6号車と7号車の間に臨時の売店を開設というお知らせも。
朝10時近くまで走る寝台特急で、和洋食から選ぶあのビジネスホテルの朝食みたいな食事を食堂車でとれないのは本当に残念ですが、簡易売店開設には何となく嬉しくなりました。

寝台特急で最後に食堂車を利用したのは、22年前の春だと思います。夜11時を過ぎた岡山から乗った「あさかぜ4号」。乗った翌日の朝は自分の誕生日でした。ひとりハネからオシに向かい洋朝食をとりました。

浜松を出たら次は静岡停車。2分停車なので、ちょっと外に出てスハネフを撮影。

白帯の「富士」、24型だと思えば懐かしいのかも知れませんが、あの、いかついジャンパ栓受けがないのでやはり24型には到底見えません。絵入りマークだし。それに上りのしんがりが電源車じゃない富士なんて。14系の富士はやはり馴染めませんね。

31年前、3段ハネは静岡県内で解体され、座席利用の朝の姿になったと記憶しています。そのあとの横浜までの行程は長く感じました。今より1時間を遙かに長く感じることができたし、現実に近づいても寝台特急の旅を無邪気に最後まで満喫できていたのでしょう。

静岡を出てしばらく走ると国道1号、東名との並行区間を過ぎ富士川を渡ります。上り線がトラス橋ではいのは、1983年夏、台風の大雨で流されたから…。仮復旧直後に、下り「みずほ」に乗りました。上り列車下り列車とも下り線の橋を使っての単線運転。仮復旧までの期間が短かったのは流石に東海道本線だと思いました。

そして列車名と同じ駅名富士停車。

こうしてみていると静岡県内の駅で降りる乗客が意外に多いことに気づきます。九州・山陽と静岡県内だと航空機や新幹線に比べてもまだ実用の面でも、利用価値がある場合もあるのでしょう。
富士でこどもを起こし個室内で洗面させてA寝台を実感させてやり、前日門司で買ったおにぎりで朝食。せっかくなので6号車 7号車の仮設売店にコーヒーを求めに行きました。スハネフの車掌室を基地に営業していました。

食堂車も良いけど個室内の朝食も悪くありません。1977年の旅と鉄道誌に上り「はやぶさ」西鹿児島−東京個室寝台の旅のルポがありましたが、そのルポライターは静岡県内で通勤電車を見ているうちに、1両定員14名を贅沢に感じ、もったいないので食堂車に行かず個室内で朝食をとったと書いてました。
まぁ残念ながら今は食堂車という選択肢はありませんが。

沼津を過ぎ、1934年開通の長いトンネルを過ぎると熱海です。JRも東日本になり、だいぶ現実に近づいてきます。静岡県内は頻繁に止まっていましたが、熱海を過ぎると次は横浜までノンストップで特急らしくなります。

門司から連続絵巻物のように沿線の風景を映してきた車窓も神奈川県内の景色を映し出します。

小田原以西の相模湾の風景には「旅の車窓」を最後に感じることができましたが、小田原も過ぎればいよいよ現実の日常世界です。

お馴染みの場所が近づいてきたので隣の最後部まで行って滅多に見れない窓、スハネフの貫通窓から日常を覗いてみました。
いつもの撮影ポイント、"トンネル付近"、そしてトンネル。


続いてここもよく撮りに来る"人道橋"をくぐります。

トンネル駅寄りで撮っていると「はやぶさ富士」通過直後に来る「踊り子」とすれ違います。当日、橋から撮っていたら、かぶってますね。

やがて最後の停車駅、横浜。降りようかどうしようか迷いましたがここまで来ると、ここで降りるのが惜しくなり、東京まで乗ることにしました。キップは東京まで買ってあります。

幸い、日曜の朝なので、ホーム上のいやぁな現実世界を突きつけられることなく、横浜発車。東京までのラストスパートです。
東京に向かって最後の力走を見せるEF6649の姿を見に行きました。

やがて品川通過前に最後の車内放送。客車オルゴールもこれで聴きおさめです。

門司で「富士」を迎えてから15時間、1100kmを経ていよいよ終点東京です。旅の始まりに「はやぶさ」に乗ったときと同じ10番線に到着です。門司で乗ったときには、永遠に時間があるように感じましたが、終わってみるとあっという間です。東京駅では、牽引機が切り離され、9番線を使っての機回しが行われます。

今回の旅で往復2200kmを引っ張ってくれたEF6649。思い出の機関車の殿堂入りです。

こどもが夢中で撮った写真。

夏休みで乗っていたチビッコたちが、楽しかった寝台特急の旅の最後の思い出をカメラに収めようと機関車連結シーンに集まるので大人は一歩引いておいてあげたいですね。

「特急 富士 東京 日豊線経由」 は、日本一の走行距離を誇った、西鹿児島発のときから変わらぬ標記ですね。

宮崎や大分発になって以降はわざわざ日豊線経由を断らなくても良いはずなのに…。遠くDF50の名残を感じます。

機回しを終え、新橋寄りに機関車を据えたはやぶさ富士は、品川へ向かって静かに回送されて行きました。東京到着から30分程時間は経っていました。

今回、九州特急に久々に乗りましたが、やはり良いものでした。列車の扱いは、かつて国鉄看板列車だった頃のプライオリティ1からはほど遠く、車両によっては冷水機やトイレが使えなかったり、(なんと行きは「はやぶさ」側の"ロネ"の洋式トイレが使えませんでした) せっかく設置されている飲料水の自販機も、始発から全て売り切れだったりと、やっとのことで寝台特急としての最低限のサービスを保っているという感じを受けました。

一方、今回は夏休みのピークということもありましたが、個室切符の入手性はかつてのブルートレインブームのプラチナチケット並でした。実はこれで旅行日程を一日ずらしています。一ヶ月前の昼過ぎに、のこのこ買いにいったら普通のハネしか残っていなかったので翌日、最寄り駅が予約受付をする朝5時に間に合うよう並んでようやく入手できました。それでも実は、行きの分もロネを第一希望にしてましたが、朝5時に開始したその駅での受け付けの7番目だったこともあり、第二希望のソロになりました(結果的には2室使った行きがソロで1室の帰りがロネはいろいろな面で好都合でしたが)。
帰りの分は1番の受付でロネがとれました。
夏休みのピークでもなければこういうこともないでしょうが、まだまだ根強い人気があることは確かです。

ようやくの思いで、なんとか走っている反面、需要は確かにまだある…さてこの先この列車がどういう扱いを受けるのか・・・動向から目が離せませんね。

今や、北海道に行く列車がもっとも重要な寝台特急になってしまっていますが、やはり「あさかぜ」以来の伝統を持つ九州特急こそが、自分にとっては寝台特急の中の寝台特急です。小学生の頃から沿線で眺め、「あの列車は自分が明日の朝、学校に行く頃には九州かぁ…」と憧れをもって、慣れ親しんできたからということもあります。

今回、東京駅でこどもが機関車の連結を夢中になって撮っているのを眺めていたとき、同じように子供達を見守っていたお父さんの一人が笑顔で会釈をしてきました。見ると門司のホームに設けられた待合室で、暫し一緒のときを過ごした家族のお父さんでした。こちらも笑顔を返し、やがてその家族は10番ホームから引き上げていきました。

門司でも東京でも一言も言葉を交わすことはありませんでしたが、どこか気持ちが通じ合ったような気がします。
見知らぬ人とのこんな心の触れ合いがあるのも、長距離寝台特急の旅ならではですね。


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